幼い子の死が痛ましい

今から54年ぐらい前、高校生の時、親が子供を連れて心中した事件があった。そういった危険があるなら私は親から離して公の所で預かる主張をした。友人はそうではなかった。やはり基本的には親が見て、公はあくまで後に控えている形を主張した。その後子供を遺棄殺害から救う方策は進歩した。私の記憶では赤ちゃんボックス、コウノトリのゆりかごだ。熊本のほうで始まった。群馬では前橋の施設であった。玄関先に赤ちゃんを置いて育てられないの意でお願いしますという手紙を置いて。
色々な意見があったが、命を救う先駆的方策と思う。その後は妊娠している段階から経済的理由等で育てられないからその後子供のいない夫婦とかで養子にするなり育ててほしい。
その後石巻の医師が上げた広告を基に論議が広まった。生まれたばかりの子を実子として育てる方を求む。これは実子として届けるという虚偽の養子縁組をしなくてはならない。医師は医師法違反に問われ医業停止になる。世論は医師を称賛した。その後1989年特別養子制度が民法改正で実現した。今また新たな問題は全くも身元を明かさないままの出産が出ている。命を大事にするために良い方向を望む。
生まれてきても親の虐待や不注意で命を落とすことも多い、児童相談所がある程度関与していても結果として不幸になることはあり、担当者はいつも記者会見して申し訳ありませんと謝るが子供の命は帰ってこない。昔から「社会が子供を育てる」という言葉があるという。色々な社会にお世話なってきた。この原点から出発はできないのかと思う。